相模国

相模国(さがみのくに、SAGAMINOKUNI)是古代日本令制国之一,属东海道,又称相州、湘州。相模国的领域大约为现在神奈川县(东北部份除外)。关于“相模”的“模”字,由于当时公文上的捺印以“摹”字表示,因此推测最初的写法为“相摸”。

分郡:足上、足下、余绫、大住、爱甲、高座、镰仓、御浦

主要特产名物:野萝卜、烟草、炭薪、鲇鱼

代表风土:江之岛、大山诣、游行寺、鹤冈八幡宫、七里浜、芦之湖、箱根七汤、寒川神社

由东到北与武藏国接壤,西北与甲斐国,西与骏河国,南与伊豆国分别接壤。通过三浦半岛和浦贺水道与上总国安房国隔海相望。

国内被分成了有着关东平原的东部和关东山地的西部。西部有着足柄山和箱根山,是东海道一道天险。三浦半岛根部镰仓作为镰仓幕府的中心,经济,文化,政治都比较发达,到了室町时代,一样非常重视,设立了镰仓公方,鼎盛时期统率了关东十国。战国时代镰仓公方大幅衰退,北条氏展开了关东制霸,相模的小田原城成了关东经略的中心。作为东国和西国在东海道的要地,并且有武田氏今川氏等大名在北,西的存在,应凭借丹泽和箱根天险,加以防备。

1495年北条早云进驻小田原以来,逐步开始相模领国化,1515年统一了相模,从小田原城的整备开始,这里成为了北条氏政治,经济,文化,军事中心。二代北条氏纲开始逐渐在关东南部扩展领土,并以三浦半岛突出部的三崎城作为水军根据地,确保相模滩的制海权。三代北条氏康击破了山内,扇谷两家上杉氏,吞并了武藏,并与今川,武田结盟,更加巩固领国统治。

1561年,上杉谦信继承了关东管领之名,并掌握了关东武士团,大军攻击小田原。但氏康笼城小田原,对抗谦信的包围。谦信只好解围而去,在鹤冈八幡宫举办继任仪式后撤退。之后,很多之前从属于上杉的关东武士团,再次臣从到了北条家。之后北条家筑起了更加坚固的支配体制,与上杉,武田等大名对抗。

直到1590年,五代北条氏直与真田家争夺在上野国的沼田领,因此使丰臣秀吉得到了出兵的理由。集结全国兵力的秀吉包围小田原城(小田原征伐),氏直开城投降,北条家的百年统治结束。之后,相模处于德川家康的支配下,重臣大久保忠世获得小田原4万石,此外还有一些小藩和幕府直辖地。因大久保氏后来失势,阿部氏,稻叶氏进入小田原,一直存续。

? - 1194年(建久5年) - 三浦义澄

1209年(承元3年) - ? - 三浦义村

? - 1247年(宝治元年) - 三浦泰村

1247年(宝治元年) - 1333年(元弘3年、正庆2年) - 不设置(侍所·政所管掌?)

1351年(南朝:正平6年、北朝:观应2年) - 1352年(南朝:正平7年、北朝:文和元年) - 三浦高通

1353年(南朝:正平8年、北朝:文和2年) - 1363年(南朝:正平18年、北朝:贞治2年) - 河越直重

1364年(南朝:正平19年、北朝:贞治3年) - 1367年(南朝:正平22年、北朝:贞治6年) - 三浦高通

1377年(南朝:天授3年、北朝:永和3年) - 1402年(应永9年) - 三浦高连

1429年(永享元年) - ? - 三浦时高

1448年(文安5年) - ? - 上杉持朝

1449年(宝德元年) - 1455年(康正元年) - 上杉显房

1485年(文明17年) - 1488年(长享2年) - 上杉定正

1510年(永正7年) - ? - 上杉宪房

? - 1516年(永正13年) - 三浦义同

※日期=旧历※在任期间中、「 」内是史书可以确认在任的最后年月日。

秦井出乙麻吕(天平15年〈743年〉6月30日 - )外从五位下

葛井诸会(天平19年〈747年〉4月21日 - )外从五位下

藤原宿奈麻吕(天平胜宝4年〈752年〉11月3日 - )从五位下

石上宅嗣(天平宝字元年〈757年〉6月16日 - )从五位上

纪伊保(天平宝字5年〈761年〉5月9日 - )从五位下

粟田人成(天平宝字8年〈764年〉1月21日 - )从五位上

牡鹿岛足(天平宝字8年〈764年〉10月20日 - )从四位下 授刀少将

和气麻吕(延历14年〈795年〉2月 - )从四位下

菅野真道(801年〈延历20年〉闰元日 - 延历22年〈803年〉1月)正四位下

藤原园人(延历22年〈803年〉1月7日 - )从四位上

纪田上(806年〈大同元年〉 - 「808年〈大同3年〉」)正五位下

多入鹿(弘仁元年〈810年〉1月10日 - 弘仁元年〈810年〉9月10日)从四位下

直世王(弘仁元年〈810年〉9月10日 - 「弘仁5年〈814年〉9月17日」)从五位下→从五位上

春原五百枝(弘仁7年〈816年〉1月10日 - 「弘仁10年〈819年〉3月1日)」从三位参议

纪百继(弘仁9年〈818年〉1月10日 - )从四位下

路年继(819年(弘仁10年) - 822年(弘仁13年))正五位下

藤原友人( - 弘仁13年〈822年〉8月16日)从四位下

大伴国造(天长3年〈826年〉1月21日 - 天长3年〈826年〉3月3日)从四位上

藤原纲继(天长3年〈826年〉3月3日 - 「827年〈天长4年〉」)从四位下

三原春上(天长7年〈830年〉6月5日 - 「天长9年〈832年〉11月9日」)从四位下

橘岑继(天长9年〈832年〉1月 - 天长10年〈833年〉3月)从五位下

藤原常嗣(承和元年〈834年〉1月11日 - 承和元年〈834年〉5月13日)从四位上

滋野贞主(承和元年〈834年〉7月1日 - 承和2年〈835年〉8月14日)从四位上

百济胜义(承和4年〈837年〉1月 - )从四位下→从四位上

藤原贞成(承和6年〈839年〉1月11日 - )从五位上

源融(承和8年〈841年〉1月12日 - 承和9年〈842年〉9月18日)正四位下

百济胜义(承和8年〈841年〉1月13日 - )从三位

(权守)藤原长良(承和10年〈843年〉1月12日 - 承和13年〈846年〉9月13日)从四位下

坂上清野(承和12年〈845年〉1月 - 承和12年〈845年〉7月3日)从四位上

橘岑继(承和13年〈846年〉1月21日 - 嘉祥元年〈848年〉1月13日)从四位下

(权守)藤原富士麻吕(承和13年〈846年〉9月14日 - )从四位下

藤原良相(嘉祥元年〈848年〉1月 - 嘉祥2年〈849年〉11月29日)从四位下参议

坂上清野(嘉祥2年〈849年〉5月17日 - 嘉祥2年〈849年〉8月4日)正四位下

滋野贞主(嘉祥2年〈849年〉8月5日 - 仁寿2年〈852年〉2月8日)正四位下参议

(权守)橘真直(仁寿元年〈851年〉1月11日 - 仁寿2年〈852年〉6月20日)正五位下

坂上正野(仁寿2年〈852年〉2月15日 - 仁寿3年〈853年〉1月16日)从五位上

时宗王(仁寿3年〈853年〉1月16日 - )从四位下

(权守)文屋有真(齐衡元年〈854年〉1月16日 - 齐衡3年〈856年〉2月8日)从五位下

源兴(天安元年〈857年〉1月14日 - 贞观元年〈859年〉1月3日)正五位下→从四位下

源勤(贞观元年〈859年〉1月13日 - 「860年〈贞观2年〉」)从四位上→正四位下

源启(贞观5年〈863年〉2月10日 - )从四位上

源生(贞观9年〈867年〉1月12日 - 贞观10年〈868年〉1月11日)正四位下参议

源冷(贞观10年〈868年〉1月16日 - )从四位上

(权守)源有(贞观12年〈870年〉1月25日 - )从五位上

(权守)源光(贞观14年〈872年〉2月29日 - 贞观15年〈873年〉2月22日)从四位上

藤原良尚(贞观17年〈875年〉1月13日 - 元庆元年〈877年〉3月10日)从四位上

源直( - 贞观17年〈875年〉1月13日)从四位上

源至(元庆元年〈877年〉4月1日 - 元庆5年〈881年〉2月5日)正五位下

(权守)在原业平(元庆2年〈878年〉1月11日 - 元庆3年〈879年〉10月)从四位上

源光(元庆5年〈881年〉2月15日 - 元庆6年〈882年〉2月2日)正四位下

文屋卷雄(元庆6年〈882年〉3月 - )从四位上

(权守)源平(仁和2年〈886年〉2月21日 - 仁和3年〈887年〉6月13日)从四位上

藤原利基(仁和3年〈887年〉2月2日 - )从四位上

(权守)源光(仁和4年〈888年〉3月7日 - )正四位下参议

(权守)藤原枝良(909年〈延喜9年〉闰8月4日 - 延喜14年〈914年〉4月22日)从四位下→从四位上参议

藤原枝良(延喜14年〈914年〉4月22日 - 延喜15年〈915年〉6月25日)从四位上参议

源宗干(915年(延喜15年)6月25日 - 916年(延喜16年))从四位上

藤原安亲(安和元年〈968年〉10月19日 - 天禄3年〈972年〉1月24日)从四位下

(权守)藤原忠辅(天延元年〈973年〉11月28日 - 贞元元年〈976年〉6月16日)从五位下

(权守)源重之(贞元元年〈976年〉7月 - )从五位下

平伦范(长德2年〈996年〉1月 - )从五位下

平孝义(宽弘5年〈1008年〉7月28日 - )

大江公资(宽仁4年〈1020年〉 - 万寿元年〈1024年〉)

源赖义(长元9年〈1036年〉10月14日 - )

大中臣明辅(康平2年〈1059年〉2月 - 康平3年〈1060年〉2月17日)

源师光( - 永保2年〈1082年〉)

橘以纲(嘉保元年〈1094年〉2月22日 - 「康和元年〈1099年〉」)正五位下

(权守)纪宗兼(康和元年〈1099年〉1月22日 - )从五位下

藤原清家(康和2年〈1100年〉1月23日 - )

藤原宗佐(嘉承2年〈1107年〉 - 天永3年〈1112年〉12月)

源雅职(永久5年〈1117年〉 - 「保安元年〈1120年〉7月5日」)

藤原盛重(保安元年〈1120年〉12月24日 - 大治2年〈1127年〉12月20日)

源时(大治2年〈1127年〉12月20日 - 1131年(天承元年))

平范家(长承3年〈1134年〉闰12月30日 - 永治元年〈1141年〉12月2日)从五位下

(权守)藤原经国(保延4年〈1138年〉1月22日 - 久寿2年〈1155年〉10月26日)

(权守)藤原赖定(康治元年〈1142年〉1月23日 - 「久寿元年〈1154年〉1月2日」)从五位下

藤原赖宪(天养元年〈1144年〉1月24日 - 仁平2年〈1152年〉1月28日)从五位下

(权守)藤原敦宪(久安2年〈1146年〉1月23日 - )从五位下

(权守)藤原利宗(久安6年〈1150年〉12月22日 - )从五位下

藤原亲弘(仁平2年〈1152年〉1月28日 - 「久寿2年〈1155年〉12月15日」)正五位下

平贺(大内)惟义(文治元年〈1185年〉8月 - )

北条义时(元久元年〈1204年〉3月6日 - 建保5年〈1217年〉12月12日) 镰仓幕府二代执权 从五位下→从四位下

北条时房(建保5年〈1217年〉12月12日 - 嘉祯3年〈1237年〉3月4日) 镰仓幕府初代连署 从五位下→从四位上

北条重时(嘉祯3年〈1237年〉11月19日 - 建长元年〈1249年〉6月14日) 镰仓幕府二代连署 从五位下→从四位上

(权守)北条朝直(文历元年〈1234年〉1月26日 - 嘉祯3年〈1237年〉9月15日)从五位下

北条时赖(建长元年〈1249年〉6月14日 - 康元元年〈1256年〉11月3日) 镰仓幕府五代执权 从五位上

北条政村(正嘉元年〈1257年〉6月12日 - 文永2年〈1265年〉3月28日) 镰仓幕府七代执权 从四位下→从四位上

北条时宗(文永2年〈1265年〉3月28日 - 弘安7年〈1284年〉4月4日) 镰仓幕府八代执权 从五位上→正五位下

北条贞时(弘安8年〈1285年〉4月18日 - 正安3年〈1301年〉8月22日) 镰仓幕府九代执权 从五位下→从四位上

北条师时(正安3年〈1301年〉9月27日 - 应长元年〈1311年〉9月21日) 镰仓幕府十代执权 从五位下

北条时(应长元年〈1311年〉10月24日 - 正和4年〈1315年〉7月19日) 镰仓幕府十二代执权 正五位下

北条基时(正和4年〈1315年〉7月19日 - 正和5年〈1316年〉7月) 镰仓幕府十三代执权 从五位下

北条高时(文保元年〈1317年〉3月10日 - 元应元年〈1319年〉1月) 镰仓幕府十四代执权 从五位下→正五位下

北条守时(嘉历元年〈1326年〉 - 元弘3年、正庆2年〈1333年〉5月) 镰仓幕府十六代执权 从五位下→从四位下

足利直义(1333年〈元弘3年、正庆2年〉11月8日 - 1338年〈南朝:延元3年、北朝:历应元年〉8月11日)正五位下→从四位下

大久保忠邻(庆长5年〈1600年〉7月 - 元和2年〈1616年〉4月)从五位下

土屋政直(宽文5年〈1665年〉12月25日 - 享保7年〈1722年〉11月16日)从五位下→从四位下

御杖祖足(天平宝字5年〈761年〉1月16日 - )外从五位下

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